ハワイ留学生をサポートするハワイ留学専門店
IIE 公式日本事務局 イーストマンハワイ

月曜~土曜 10:00~17:00 | TEL: 03-5799-9920

ハワイ王朝時代7 | ハワイトピックス

カラカウア

DAVID KALAKAUA
デビッド・カラカウア

統治時代(1874年 - 1891年)

米国との互恵条約

David Kalākaua (デビッド・カラカウア) は、カメハメハ4世の未亡人であるEmma(エマ) を不法選挙で破ります。砂糖業関連の政治的サポートを得て、関税抜きの砂糖輸出を盛り込む互恵条約の締結を目指し、米国ワシントンへ向かいます。

日本との交流

カラカウアは世界一周の航海をした最初の君主でした。彼はこの航海で日本と友好関係を築くことを考えていました。まだ若かった王女(カ イウラニ)を日本の皇太子に嫁がせようとしますが、実現しませんでした。またカラカウアはオセアニア諸国から成る統一政府を作ること願っていましたが夢と終わりました。

文化の普及

王は古代のチャント、フラダンス、そして伝説の普及に力を注ぎました。Myths and Legends of Hawai'I(ハワイの神話と伝説)を著作し、古代のチャントが失われないように収録させていました。

Merrie Monarch (華麗な王朝)

王は国民と昔ながらの良さを守ろうとしましたが、王宮の華やかさも好み、君主メリーとして知られるようになります。イオラニ宮殿を建て、通りの反対側にはカメハメハ像も作りました。

銃剣憲法

王の浪費と、古き良き時代を引きずるやり方に反感が高まってきました。王の権力を制限する新憲法設定のための反勢力が生まれます。1887年、カラカウハはこの銃剣憲法への著名を余儀なくされます。

カピオラニ病院

ハワイの人口の激減(4 万人まで減少)を深く危惧していたため、王とKapi'olani(カピオラニ)王妃は幼児の死亡率の低下を目指し、カピオラニ病院を建設します。