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ハワイ王朝時代9 | ハワイトピックス

ハワイの歴史

OTHER ROYALITY
その他のハワイの主要王族

Kahekili(カヘキリ)

カヘキリ(1794年没)

マウイ島とオアフ島を治めていたのはチーフでした。彼の右半身は頭からつま先まで刺青で覆われていました。オアフ島の征服後は、オアフのほとんどのチーフを殺してしまいます。1791年、ハワイ島の(ワイピオ)沖でカメハメハ1世と歴史的な戦い演じますが、決着はつきませんでした。両者がハワイアンカヌーに大砲を装備した初めての戦いでした。

Likelike(リケリケ)

Likelike(リケリケ、1851年~1887年没)

Kalākaua 王と、Lili'uokalani 女王の妹であり、Ka'iulani の母です。

Kapi'olani(カピオラニ)

Kapi'olani 王妃(カピオラニ、1834年~1899年没)

Kalākaua の妻、ハワイ人女性のための福祉制度を改善する案を設定し、1890年にKapi'olani Maternity Home を創設。

Ka'iulani(カイウラニ)(写真左)

Ka'iulani 王女(カイウラニ、1875年~1899年没)

Arcgubakd Ckeggirn 知事と、Miriam Likelike 王女との間の混血ハワイ人の子。

Kalākaua 王は当時5歳だった彼女を日本の皇太子へ嫁がせ、(ハワイに対する米国の勢力を抑えるために)姻戚関係を築こうとします。

彼女はイギリスで教育を受け、数カ国語を操ることができました。
1891年、Lili'uokalani 女王は、位の継承は彼女にと決意し、米国大統領のGrover Cleveland(クリーブランド)に君主制再建を懇願します。受け継いだ土地Āinahau(アイナハウ)はワイキキ内の現Princess Ka'iulani Hotel の建つあたりにありました。

Kūhiō Kalaniana'ole(クヒオ カラニアナオレ)

Jonah Kūhiō Kalaniana'ole(ジョナクヒオ オレ、1871年~1922年)

彼は、叔父のKalākaua 王により王位継承を約束されていました。王朝の復活を目指した反革命運動に参加した罪で、1年間投獄されます。ハワイの人々に仕事と土地を与えるため、共和党派のビジネスマンと政治的連合を組みます。1902年から1922年にかけては、国会への下院議員として選出、連邦政府から郡レベルへと、権力の分散を推進した人物です。ハワイ州に関する初の連邦法案(1919年)と、Hawaiian Homes Commission(1921年)をまとめた人物でもあります。