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ハワイ王朝時代3 | ハワイトピックス

カメハメハ3世

KAMEHAMEHA Ⅲ
カメハメハ3世

統治時代(1825 - 1854)

Kauikeaouli(カウイケアオウリ)

Ka'ahumanu (カアフマヌ)は摂政の地位に就いたまま、リホリホの弟Kauikeaouli(カウイケアオウリ)が12歳の時にカメハメハ3世となります。

砂糖 - 1832年

1832年、砂糖キビの栽培のため、カメハメハ3世はカウアイ島のKōloa(コロア)の土地を3名の米国人に貸し付けました。19世紀中頃までに砂糖キビ農園は栄えますが、十分な労働力が確保できず海外からの労働者を連れてくるようになります。

最初の憲法

宣教師やハワイの知識人の助けを得て、王は1840年に初の憲法を制定します。最初は地主にのみ選挙権が与えられ、ハワイの人しか土地を所有することが許されませんでしたが、やがて外国人も選挙権が持てるようになり土地の購入も許されるようになりました。

The Great Mahele (グレート マヘレ) 1848年

1840年代半ばまでに、カメハメハ3世は一般民衆・maka āinana(マカ アイナナ)にも土地所有の機会を与えるべきと考えるようになりました。同時に、王室や政府が使用できる土地を作る必要性も出てきました。結果としてGreat Mahele(分配)が実現し、一般民衆でも土地が所有できるようになりました。しかしこれには多くの問題がありました。中でも土地を「所有」というコンセプトが理解されない点が重要な欠点でした。400万エーカーもの土地のうち、平民の手にはわずかに4 万エーカーを与えただけの結果となってしまいます。

ハワイのモットー

1843年、英国人ポーレット提督が英国への合併を迫った「ポーレット事件」は5ヶ月間にも及びました。後にハワイのモットーともなったUa mau ke ea o ka 'äina i ka pono「大地の命は高潔さの中にて不朽なり」というカメハメハ3世の言及に応え、艦長のトーマスが王朝復活のため来航します。

宗教

1839年、Kuhina nui(クヒナ ヌイ)とKina'u(キナ ウ)が亡くなった後、カトリック教が認められました。同じ年、プロテスタントの宣教師たちによりRoyal Chief's Children's School(ロイヤル・チーフの小学校)が建設されました。