Hawaiiana

ハワイの文化&歴史

KAMEHAMEHA Ⅱカメハメハ2世

Kapu 制度の廃止

1819年にカメハメハ1世が亡くなる前、彼は最愛の妻Ka'ahumanu(カアフマヌ)をKuhina nui(クヒナ ヌイ)いう摂政にあたる地位に付け、息子でありカメハメハ2世となるLiholiho と共にハワイを統治するよう任命します。そしてすぐに古来からのカプ制度が廃止されました。王が妻、母、Ka'ahumanu と食事を取るようになり、他の文化では当然のごとく目にする風景がハワイでも見られるようになります。古いkapu 制度の元では男女で食べ物が違い、食卓も別にしていました。この新しいシステムは'ainoa アイノア(自由な食事)と呼ばれ、この時代のシンボルとなります。

宣教師の到来(1820年)・ハワイの人々の教育

1820年、Hiram Bingham(ハイラム ビングハム)師によって率いられた宣教師の第一団がニューイングランドから訪れました。彼らの目にはハワイが無宗教で、社会秩序がないように写りました。王は彼らを1年間だけ試しに滞在させることを許します。その一番の理由はハワイの人々が読み書きを学ぶことを切望していたからです。それから20年間で識字率は人口の85%にまで達しました。

はしかによる死

1824年、カメハメハ2世 と最愛の妻Kamāmalu(カママル)は欧州に渡り、最初にロンドンを訪れました。わずか10日間で彼らははしかにかかり、命を落とすこととなります。長い間外界と接触せず、西欧の病原菌に免疫がなかったハワイの人には、軽い病気であるはしかでさえも生死を左右する大病となってしまったのです。

海外に渡る ハワイの工芸品

遺骸を運ぶためハワイ島への特別船が用意され、無事に到着しました。Kūka'ilimoku(クカイリモク)神の木彫りが船員の1人に授けられます。その後、この彫り物は彼の子孫により返上され、今はビショップ博物館に保管されています。初期のハワイでは、今では値段のつけよもないこれらの貴重品を感謝の念として、また物々交換用として用いていました。彫り物や、羽で作られたクロークやケープなどがハワイから遠く離れた地球の裏側でも見つかるのはこのためでしょう。


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